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『疾き事・風の如し』
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エデンと蝋燭
いろいろな人間が住むことはもちろんであり、誰も文句を言わない。現状に対しての不平不満は出るが、自分ではどうしようもないし、そのことを自身でわかっている、つまりは冗談なのだ。どうしても自分は人よりどこか秀でたいし、どこか違っていたい。しかし、人々は普通を好めば世界は基準を必要とする。その世界が気持ちよくもあり、気持ち悪くもある。もどかしい。

高齢化社会を解決できないまま少子化を迎え、どちらにも対応できず遂には超高齢社会が到来し結局どちらも回復不能の状態に陥り打つ手無し。
時は経ち、かつ人の考え・常識は変わり、特に世代を担う年代の層がアホでさらにその下の次世代層がゆとりでアウトとなればいかなる国策を出そうとも動かしたい年代が動かない。
「生が無ければ死も無い」ことは事実で優先順位にすればまず少子化を解決することが大事なのだが時既に遅しで婚期の年齢層はほぼアホ色に染まりつつあり、この時代核家族すら怪しい。
しかも産んでハイおしまいとはいかず、いまや定番となった出来ちゃった婚や若年層の子持ちは一人の子供をかわいがるし、もちろん離婚率だって昔と変わらない。
子育てをめんどくさがる人間や虐待する親、なんちゃらポストに果てにはわが子を殺す親も出てきているある種イカれた現代で出生率の増加は極めて困難であり、仮の解決をもってしても最低10年単位の長期的なものになるはずである。
そうでもならなければ、例えば年金の受給が開始される歳になった場合、間違いなく余裕を持って国から出されることは無く、現行に似た形で20~40代の預ける分の年金で賄われる可能性が高い。昔から言われていたことだが、この歳になったからかメディアの発達で情報が握れるからか少子高齢化が顕著だからか、とにかく「我々の年金は誰が払うんだ?」といった問題がいよいよやばくなっている気がする。

「将来こんなんじゃ心配だから俺達も一応子供産んで育てておこうか・・・」
誰のためでもなく「自分(達)のために子供を産み育てる」といった考えからすればそう遠くはない理由なのだろうが、誰もはいそうですねと言う奴はいないし年金のためとかで子供を作る気にはならない、ましてやこの直接的な考えが「時代の流れ」にはあまりに非道徳すぎてなり得ない。
こうなると諦めて将来迎えるであろう超少子高齢化社会にむけて、というか生きる「のびる」事は放っておいても問題は無いので、国民に産ませることが難しいなら少ないまま国を動かすには?に考えをシフトした方が良いのではとさえ思う。

じゃあそのためにはまず、それでも最低限の出生率確保のために今以上に子育て奨励金を出して、それから学校を合併させたり規模を小さくして、少ないままで国の経済を支えるために高齢者にも働いてもらって・・・・って結局人が足りない部分の補償は上の年齢層に被ってくる。
この負のスパイラルはまず俺と同じ年代の人間が寿命で死ぬまでまず解消されないし、この先どこまで続くかはっきり言って不明だし、あと200年くらい解決できないと俺自身思っている。が、そういう時代で「生」を考えるならば、生きることが大事なのではなくて生まれることが大事なのではないか。
もちろん生を受けた本人にとっては、自分の生きることが大事であって、だがしかし「生まれることが希望」とすれば、このことは国内だけにおいてもその「生」は他1億数千万人にとって喜ばしいこととなるはずである。

死んでしまえば・・・とはいえ最初のとおり生が無ければ死も無いのである。また死が人を何故か悲しませるのは、大事な思いがあるのとは別に「人は死ぬもの」というはかなさを少し近くに感じるからだと私は思う。しかし、生まれることが既に仕事であり、死ははっきり言って事故なのだ。誰も死にたがる奴はいない。生き続ける事が仕事でなく生まれることが仕事ということを、今のいわゆるジェネレーション達が認識すべきである。
自分本位を捨てることはもちろん出来ないし考えを変える必要もない。ただ、新しくこれを付け加える、いや知ってもらうだけで何かの第一歩になるのではないだろうか。人生を仕事に例えるなら、人間はまずエリートである。生まれてすぐ入社すれば、高齢者ははっきり言ってその職場では、全うし過ぎている老害の域なのだ。そうなると退社しなければ逆に企業の芽を潰すことになりかねないし、楽しみを感じないまま何かの拍子に人生が終わってしまう。サボるべきなのだ、高齢者は。例えの上で言うなら人間は全員が真面目で、サボらない。もちろん好んで退社などしない。しかし大きな会社だ。一人サボっても罰は当たらない。それが既に職務のほとんどを終えているなら尚更だ。すなわち、死に対して前向きになるべき。
働いている我々はそれを死と認識して、悲しんではならないし、留めようとするなどもってのほかだ。何かが会社のためになるとすれば、新たなブレイン、つまり新入りを引っ張ってくること。
それは見てくれに違いはあれど、ただただこの会社においてはエリートなのである。例や考えが正しいとされるなら、新入社員は不平等なく「優秀」であり、大事にされるべきなのだ。
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